《突然の大病と収まらないコロナ禍》
(発病から長かった不明熱の期間)
6月13日の朝、目覚めると酷い腰痛が出ていた。
以前から腰の調子が思わしくなくて、
昨夕のVelvet VirgoでのBGM演奏を頑張り過ぎたからかと、
そのときは思いましたが、、、
夜には37.5度の熱。
風邪かなくらいの気分で、風呂にゆっくり浸かった。
(この日から、次に風呂に入れたのは8月6日、53日後のこと!)
翌朝、腰、尻、太腿の裏側全体に耐えられないくらいの痛みが広がっていた。
熱は38.5度、しんどい、だるい。
これが、2週間を超えてようやく診断がついた髄膜炎という大病との激闘の始まりだった。
(遂に入院、当然ながら)
39度前後の高熱が、解熱剤を飲んでも一向に収まらない。
6月24日、地元のH病院に遂に入院することになった。
これで、病名がハッキリすると思いきや、
入院後も38度超えの高熱は続いたままで、その原因も不明のまま。
解熱剤のみが処方される。あとは、食事をしっかり食べて体力を保てと。
「医者は言いたいことだけ言えばいいけど、シンドイ状態でメシを喰うのはこっちだぞ。
もっと旨い食事を出さんかい!」と、胸の内で悪態をつく元気くらいはあったさ。
(病名の特定やっと)
このとき、既に体重は6キロ減。頬も既にコケていた。
病状は深刻の度を増すばかり。
6月29日、これで全検査をやり尽くしたことになるという最後の検査。
医者でさえ、最も受けたくない検査と言われている「腰椎穿刺」による脊髄液の採取。
死の恐怖と、数えきれない血液採取の痛みとを充分に味わったトドの詰まりの腰椎穿刺。
しかし、この採取された髄液のひと目でわかる異様な濁りが、
「平田さん、髄膜炎ですわ、多分ヘルペスウィルスが腰の脊椎に感染してなったと考えられます」
というO先生の診断となって、発熱から15日目の病名特定に帰結しました。
(髄膜炎;悲しんでいいやら喜んでいいやら)
髄膜炎がとんでもない大病であることを後で実感することとなるのですが、
診断がついたことに、家族ともどもホッとしたのです。
「これでようやく適切な治療が始まるんだ」と。
原因不明のまま、高熱に体力気力を奪われた挙句に、死の世界へ旅立つ、
そんな思いに捉われて、本当に死を覚悟していたのですから、
その緊張から解放された気分になれたのです。
- 2020.08.16 Sunday
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- by ジャズドラマー平田