写真1:事故から7ヶ月目(六甲牧場にて)


 

写真2:事故から3年目(神戸コンチェルトフェリーにて)

 

半年間の入院と、その間の4回の開頭手術を経て、左側頭部の大穴は、チタンプレートの人工骨で塞がれました。

 

六甲牧場は、退院後、初めて出かけたレジャー ❤☆。ヾ(*'∀`*)ノ♡*
3段くらいの石の階段でバランスを崩し、転んでしまったあきひろに、肝を冷やす場面もありました。
でも、また、家族で出かけることの喜びをかみしめることができました。

 

主治医によれば、あきひろの回復ぶりは、前例の少ない奇跡だとのこと。
医者に奇跡と言わせるほどに、あきひろは死の淵に深く足を捕られていたのかと、「奇跡」の言葉がいつまでも繰り返して響きました。

 

<奇跡の偶然>

あきひろが事故った場所は、有田市の住宅街の裏山。人はもちろん、車も滅多に通らない所。
そこへ、偶然通りかかった車がいて、地面に這いつくばった状態で上半身を持ち上げようともがいているあきひろに出くわしたと言うのです。
そしてすぐ119へ電話を入れてくれて、救急車でドクターヘリが降りられる広場へ転送、ドクターヘリで大学病院へ。
事故から30分後にはICUで治療開始。

 

・発見が事故直後
・2月の極寒で、挫傷の脳は、自然冷却された(真夏だったら結果は違っていたかも)
・当時、ドクターヘリを保有していた関西で少ない県の1つだった(現在は奈良県のみがヘリを持っていない)
・和歌山県立医大は、頭部外傷の患者に対する最先端医療の研究機関だった

 

<奇跡の必然>
・あきひろの生命力の強さ(こういう事故は若い方が有利とはいえ、それでも医師が驚いていた)
・低体温療法の有効さ
・先端的なリハビリ(意識の無い状態から起立させる、歩かせるなど)
・私たち家族のツボマッサージ、足腕の屈伸、呼びかけの繰り返し(看護に悔いを残さないようにと、仕事を1ヵ月半休職させてくれた特許事務所会長に深く感謝しています
・意識回復後は、笑顔のみをあきひろに見せるようにしたこと

 

これらの偶然と必然とが織り成してもたらした奇跡だったのだと、今は思えるのです。

笑う、しゃべる、歩く、走る、跳ぶ(ちょっと苦手)、音楽を楽しむ、映画を楽しむ、自分の食べたいおかずを料理する・・・今はほぼ普通にできるのです。


事故から4日目にICUの若い医師から、「歩けるようになるかですって?それは、大きな山をいくつも越えた遠い先の先の話です。」
この冷徹な言葉に絶望を感じてしまった私は、「また普通にあきひろと話がしたい!!」その思いがどうしようもなく膨らんで、ICUから夜の駐車場へ戻る道で声を上げて泣いたこともあったのですが。

 

記憶障害と右目に1/3の視野障害は残っていますが、自宅の大改造を覚悟して介護関係の備品もいろいろ調べたことは全く不要にしていただいたことに、神仏に、ご先祖様に感謝の念が絶えないのです。
社会復帰を目指すあきひろと私たちでいろいろ話し合い、あきひろがやってみたいこととして、今年の秋口に移動販売にたどり着きました。

 

 

さて、ここまで読んでいただいた皆さん、本当にありがとうございます!
来年からは、いよいよ移動販売への挑戦の過程をお知らせしていきます。
皆様のご健勝を心からお祈りいたします。
☆Happy New Year☆

 

この話は、暗くて衝撃的な出来事なので、新年早々にお伝えする話題として、あまりにふさわしくない
年内に終わらせる話にしよう、そう思うようになりました。

 

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2013年2月12日の午後4時頃でしたか
私の職場に、次男あきひろの急を告げる電話が入りました。
「息子さんが、頭を打って、ドクターヘリで和歌山県立医大に運ばれたらしい」

 

私の周りの空間がぐらっと歪んだように感じました。

 

すぐに家内の職場に電話し、急遽、JRの駅で落ち合い、自宅へ急行。
とりあえず、当面の入院で必要になるであろう衣類等を持ち、車で和歌山県立医大へ。

 

夜の7時過ぎでしたか、ICUへ案内され個室のカーテンが開くと、そこには頭を包帯で包まれ、計器に囲まれ、たくさんの点滴の管と、センサの配線につながれた顔の腫れ上がったあきひろが・・・

 

医師 「息子さんですか?」
私  「・・はい・・・」

 

ロングボードという1.2m長さくらいのスケートボードで転倒、後頭部をアスファルト面で強打し、脳挫傷・頭蓋底骨折。
脳全体がぱんぱんに腫れ、脳幹を圧迫している、脳幹の細胞が圧力でやられると、呼吸停止、あるいは脳死の状態になるが、そのおそれがある非常に危険な状態とのこと。
このため、左側頭部の頭蓋骨を手のひらくらい切り取って開けた大穴から腫れた脳を外へはみ出させることにより、脳圧を少しでも下げる救急処置を施した、座礁した脳細胞を死滅から守るため、体温を34℃台まで下げて細胞の活動を抑え、徐々に体温を戻していく低体温療法も施している、、、とのこと。

 

流れる涙が止まらない、あきひろに声をかけようにも声が出ない
腰布のみで全裸に近い状態で寝かされているあきひろ
右目がうすく開いたまま、わずかにのぞいている黒目はどよんとしていて、全く生きてる感が無い

 

一方の家内は
母親ってこういう場面で半狂乱になるんじゃないかって思うのに、彼女は驚いたことに泣いていない!
あきひろに顔を寄せて「あきひろっ! 帰ってくるんやで! あきひろっ! 帰ってくるんやで! 〜 〜 〜」

 

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私  「あの状況で、どうして泣かなかったの?」
家内 「う〜ん、わからないわ」
私  「不思議だね」
家内 「そうね・・・」

 

家内は自分でも説明がつかないという。
私の推測ですが、家内は、小学校の保健室教諭なので、ここまでの状況に遭遇したことは無いそうだけど、大怪我や、心配な状態を抱えてしまった子ども達を二十歳のときから何十年も診ている人なんです。
そこは、「発明とは」「特許とは」って、命に関わるような仕事とは全く違う仕事をしていた私との大きな大きな違いになっていると思えます。あきひろの命の危機は、私には遭遇したことのない異次元のできごとでしたが、家内には、少なくとも異次元ではなかったんだろうと。

 

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私    「あっ君、この文章読んでどう思う?」
あきひろ 「こんなに命が危なかった状態やったんやなあ。こんなんやったんか。」
私    「父さんや母さんの様子もよくわかるやろ」
あきひろ 「ほんまやなあ・・・。それに、この状態から今みたいに普通にしておれるって、信じられへんわ」

 

あきひろが奇跡を得ることができたのは、いくつかの偶然と必然とがあったのです。
 

来年からブログを開設します。

今はブログの立ち上げ中です。

 

ブログ開設も初めてなら、移動販売という全くの未知の領域へ足を踏み入れることも初めて。

 

特許事務所を今月末で退職したら、ジャズドラマーとしてもっと馬力をあげることができるのに、なんでまた移動販売なんて?

 

その結論に到達するまでの波乱万丈のエピソードを、来月からこのブログでご紹介していきますおはなおはな

 

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